福井県南条郡南越前町今庄 登山口地図 --大手石垣-- |
別名 | 燧城・火打城 |
交通 | JR北陸本線「今庄駅」から登山口まで徒歩10分。 地図の地点、新羅神社境内から登山道があります。 |
築城年代 | 1183年(寿永2) |
築城者 | 仁科守弘 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 今庄氏・下間頼照・柴田勝家 |
1183年(寿永2)木曽義仲が平家を迎え撃つ為、仁科守弘らに命じて築かせたとされる。義仲方は6千余騎で守ったが、援軍に来た平泉寺長吏斎明が急に平家方に内通した為、燧ヶ城は落城した。 南北朝時代には足利軍に属す今庄入道浄慶が居城し、南朝方新田義貞を支援する杣山城主瓜生保に対抗、金ヶ崎城との連携を断った。 戦国時代には斯波氏臣赤座但馬守、その後魚住景固、そして一向一揆の際には本願寺坊官の下間頼照・藤島超勝寺・荒川興行寺らが立て籠もり、信長軍に抗して敗れ、次いで柴田勝家がここを守った。 新羅神社背後、藤倉山から東に延びる尾根先端部、東西に長い平坦な愛宕山山頂に位置する。東側が大手とされ、L字形の低い石垣が残る枡形虎口が設けられている。本丸には城址碑が立つ他、石垣を伴う基壇が確認出来るが、これは後世の小堂跡と考えられている。本丸から土橋を挟み、西に二の丸と続き、西側搦手は2ヶ所の土塁で守っており、遺構は比較的良く残されている。 |
南横堀 | 大手土橋・枡形虎口 | 本丸 |
本丸・二の丸間土橋 | 土橋側面に残る石積み | 二の丸 |