細川忠興屋敷

細川忠興屋敷ほそかわただおきやしき
大阪府大阪市中央区玉造
Mapion

--越中井--
別名       
交通 各線「森ノ宮駅」から徒歩10分。
築城年代 戦国時代
築城者 細川忠興
形式 屋敷
主な城主 細川忠興
細川忠興屋敷跡。1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、徳川家康が会津征伐に出陣すると、挙兵を決意した石田三成は諸将が京阪に残した妻子達を大坂城中に人質にしようとし、細川屋敷も取り囲まれた。しかし忠興正室である細川ガラシャ(明智玉)はこれを拒絶、屋敷に火を放ち、家臣に首を討たせ、火中に果てた。
地図の地点、越中公園の北西に屋敷の台所にあったと伝わる越中井が残されている。

参考文献 「現地案内板」
               「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2015年8月