1335年(建武2) 北条時行・諏訪頼重×足利直義 --井手の澤碑-- |
交通 | 小田急線・JR横浜線「町田駅」から徒歩25分。 |
1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の下、建武の新政が始まるが、後醍醐天皇が望む天皇親政に対し、武士の不満は広がり、各地で反乱へと繋がった。 1335年(建武2)7月、信濃国に挙兵した諏訪頼重らは鎌倉で自刃した14代執権北条高時の遺児時行を擁し、鎌倉を目指し南下する。(中先代の乱) 時行軍は女影原合戦、小手指原合戦、府中合戦、鶴見合戦に続けて勝利すると、この地で待ち受ける足利尊氏の弟で執権足利直義軍も破り、鎌倉に迫った。混乱の中、直義は時行に擁される事を恐れ、幽閉されていた後醍醐天皇の皇子護良親王を暗殺し、西へ敗走した。 時行が鎌倉を制圧すると、足利尊氏は東下の許可と征夷大将軍の任命を要請するが、後醍醐天皇が拒否した為、征夷大将軍を自ら名乗ると、勅命を無視して京都を出陣、直義と合流すると鎌倉に攻め入り、諏訪頼重らは自刃した。鎌倉を奪還した尊氏は後醍醐天皇に叛いて武家政権の樹立を目指していく。 一方鎌倉を逃れた時行は後に朝敵を赦免されると、以後南朝方として新田氏や北畠顕家と共に足利氏と戦うが、遂に捕らえられ、処刑されたと伝わる。 |