鎌倉城

鎌倉城かまくらじょう
神奈川県鎌倉市雪ノ下
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--南西から鎌倉市街遠望--
別名   
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」。
築城年代 鎌倉時代
築城者 源頼朝
形式 都城
主な城主 源氏・北条氏
三方を山に囲まれ、南に由比ヶ浜が控える鎌倉は理想的な都城の地形を持つ天然の要害で、九条兼実の日記「玉葉」には「鎌倉城」と記されており、外部とは上・中・下の三道と七口(極楽寺坂・大仏・名越・化粧坂・亀ヶ谷・巨福呂坂・朝比奈)に切通が開かれているだけであった。
1028年(長元1)村岡五郎良文の孫平忠常が安房国で反乱を起こした時、平直方は追討使として京より下向すると、鎌倉を本拠とした。その後直方は源頼信の子頼義を娘婿に迎え、義家が誕生すると、鎌倉の地を源家に譲与したとされる。
その後源義朝も鎌倉、亀ヶ谷に居住し、下総国相馬御厨・高座郡大庭御厨等を押さえ、東国における源氏覇権を確立すると、子義平(鎌倉悪源太)を鎌倉に残して上洛した。
1180年(治承4)伊豆に挙兵した義朝の子頼朝もまた、「要害地」・「御嚢跡(由縁の地)」として鎌倉を本拠とした。
「太平記」によると、鎌倉における戦いは三度行われているが、そのいずれも敗れており、平安時代には理想的であった都城も、鎌倉時代後期から南北朝時代に至ると強固とは言えなくなり、以降戦いは行われていない。
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朝比奈切通
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名越切通(大空洞)
法性寺背後(名越切通外側)切岸
名越切通 名越切通・置石
軍勢が一斉に通れぬよう
置かれたものという
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釈迦堂切通
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亀ヶ谷切通
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巨福呂坂
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化粧坂(けわいざか)
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葛原岡社(源氏山)付近に
残る堀切状の地形
執権北条氏邸宅跡 Mapion
東勝寺跡・腹切りやぐら
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若宮大路・一の鳥居
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極楽寺坂切通
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和賀江島
現存する最古の築港遺跡

参考文献 「現地案内板」
               「歴史群像シリーズ 学研」
                          「もっと行きたい鎌倉歴史散歩 新人物文庫」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2007年6月
2016年1月