飯田城

飯田城いいだじょう
長野県飯田市追手町2丁目
Mapion

--南・水の手橋から城址遠望--
別名 三本杉長姫城・六本杉長姫城
交通 JR飯田線「飯田駅」から徒歩15分。
築城年代 1213〜1218年(建保年間)
築城者 坂西長由
形式 平山城
主な城主 秋山虎繁(信友)・保科正直・小笠原秀政
1213〜1218年(建保年間)地頭坂西長由が山伏丸付近(現三宜亭敷地)に館を構えた事に始まるといわれる。
戦国時代に入ると、武田信玄の伊那郡攻略に伴い、飯田城も武田氏の手に落ち、秋山虎繁(信友)により下伊那における中核的な城として大改修が行われた。
1582年(天正10)織田信長による甲州征伐の際、保科正直・坂西織部らが籠もっていたが、戦わずに城を退去している。
その後飯田城は徳川家康の支配下に置かれ、下条頼安、次いで菅沼定利が入城する。1590年(天正18)家康の関東移封後、豊臣秀吉配下である毛利秀頼、京極高知が相次いで城主となり、この時城下町は整備され、今日の飯田町の基礎を形作ったといわれる。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、小笠原・脇坂・堀氏が続いて入城し、1871年(明治4)廃城となった。
現在城址は山伏丸に三宜亭、本丸に長姫神社、二の丸に飯田市美術博物館、三の丸に飯田合同庁舎・図書館・追手町小学校が建ち、部分的に堀跡が道路として残されている。
三の丸(追手町小学校)堀跡 二の丸・井戸跡 本丸に建つ長姫神社

参考文献 「信州の城と古戦場 令文社」
       「日本城郭全集 人物往来社」
           「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年9月