今井宗薫屋敷

今井宗薫屋敷いまいそうくんやしき
大阪府堺市堺区宿院町東3丁
Mapion

--石碑・案内板--
別名        
交通 阪堺電気軌道阪堺線「宿院駅」から徒歩10分。
築城年代 戦国時代
築城者 今井宗薫
形式 屋敷
主な城主 今井宗薫
戦国時代、堺の豪商で茶人今井宗久の子である今井宗薫屋敷跡。織田有楽斎から譲り受けた屋敷とされる。
豊臣秀吉に近侍として仕えた宗薫は、1598年(慶長3)秀吉死後、徳川家康に重用され、家康6男松平忠輝と伊達政宗の娘五郎八姫の婚姻を仲介している。1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、河内・和泉2国の代官となった。
1614年(慶長19)大坂冬の陣に際し、宗薫は堺の町を家康方兵站基地に拡大すると共に兵糧・弾薬の調達にあたった。これを知った大坂方は兵を送り、宗薫の財産を没収すると、屋敷を焼き払い、宗薫・宗呑父子を大坂城に幽閉した。間も無く織田有楽斎の取り成しにより開放されると、高野山に蟄居するが、その後家康に大坂城内の様子を伝え、徳川軍に従った。以後今井家は徳川幕府旗本として続いた。

参考文献 「現地案内板」
               「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2017年1月