稲積城

稲積城いなづみじょう
島根県益田市多田町
Mapion

--七尾城から城址遠望--
別名     
交通 各線「益田駅」から徒歩15分。
築城年代 1340年(暦応3)
築城者 日野邦光
形式 山城
主な城主 日野邦光
1340年(暦応3)南朝方日野邦光により築かれたと伝えられる。しかし対立する益田氏居城である七尾城とは僅か1キロの距離にあり、1340年(暦応3)時点での築城は疑問視もされている。
1341年(暦応4)1月、三隅兼連が家臣藤三に命じて稲積城へ兵糧を入れようとするが、益田勢に見つかり藤三は討死したという。この時兵糧の一部を運び込む事に成功したが、2月18日石見守護上野頼兼率いる北朝方に攻められ、高津城と共に落城したとされ、邦光は三隅城へ逃れたといわれる。
益田市街南東、稲積山に築かれている。七尾城からの遠望だけで、実際に登っていない為、登山口は確認していない。遺構も不明だが、北側は採石によりかなり削り取られているようである。

参考文献 「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2012年10月