七尾城

七尾城ななおじょう
島根県益田市七尾町
Mapion

--畝状竪堀--
別名 益田城
交通 各線「益田駅」から登山口まで徒歩30分。
城址西側、住吉神社から登山道があります。
築城年代 鎌倉時代
築城者 益田兼高又は益田兼時
形式 山城
主な城主 益田元祥
鎌倉時代、益田兼高又は益田兼時によって築かれ、以後益田氏歴代の居城であった。
1551年(天文20)大内義隆を討った陶晴賢と縁戚関係にあった益田氏は、毛利氏や津和野城の吉見氏等、周辺勢力と対立するが、この後益田氏19代藤兼が七尾城を修築した事が明らかとなっており、現在見られる遺構はこの時のものと考えられる。しかし後に吉川元春を仲介として毛利氏と和睦している。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の後、益田氏20代元祥は毛利氏に従って長門国の須佐へ移った為、七尾城は廃城となった。
西麓、内堀跡とされる水源地 厩の段 馬釣井と呼ばれる井戸跡
二の丸 二の丸北堀切
更に進むと艮の出丸があるが、
あまり整備されていない。
本丸
本丸から見る三宅御土居跡
東西の土塁が見える
本丸南堀切 本丸南畝状竪堀

参考文献 「現地案内板」
                        「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2012年10月