福岡県久留米市三潴町玉満 --南東から見る小犬塚天満宮-- |
別名 | |
交通 | 西鉄天神大牟田線「三潴駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1467年(応仁1)頃 |
築城者 | 渋川教直 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 犬塚氏・隈鎮保 |
1467年(応仁1)頃、九州探題職にあった筑前綾部城主渋川教直により築かれたとされ、長男政実が城主に置かれたという。 1489年(延徳1)綾部城が少弐政資に攻められ、落城すると、この時城主であった教直の三男刀祢王丸は犬塚城に逃れた。しかし1491年(延徳3)犬塚城も政資と豊後国大友政親に攻められ、肥前国勝尾城に逃れたという。 落城後、政親に城番を命じられた蒲池繁久は弟の家久を城主とし、家久は犬塚氏と改称、1497年(明応6)家久の子である家貞は肥前国神埼郡へ移った。 その後大善寺玉垂宮大祝の隈鎮保が城主となるが、1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、所領は没収され、犬塚城は廃城となった。 「新考三潴郡誌」に「原口天満宮(小犬塚天満宮)境内は犬塚氏の城跡で、神社の周囲に堀があり、これを「陣堀」といい、また左右の高地を里人は櫓跡という」とあるが、小犬塚天満宮東側に「陣堀」とみられる南北に延びる溝状の窪みが確認出来、また境内に土塁が残されている。 |