勝尾城

勝尾城かつのおじょう
佐賀県鳥栖市河内町
Mapion

--大手曲輪石垣--
別名 三ヶ山城・三上城・筑紫城三上山・勝山城・筑紫城・山浦城
交通 各線「鳥栖駅」からバス「東橋」下車。
バス停から登山口がある筑紫氏館まで徒歩25分。
築城年代 1423年(応永30)
築城者 渋川義俊
形式 山城
主な城主 筑紫広門
城の創建については諸説あり、1423年(応永30)九州探題渋川義俊により築かれたとも、1491年(延徳3)義俊の子孫義基が築いたともされる。勝尾城は渋川氏と大宰少弐氏との抗争の中で度々争奪が繰り広げられ、その後周防大内義興の軍勢2万に攻め落とされている。そして1497年(明応6)頃、大内氏に従った少弐氏一族である筑紫満門が城主として居城すると、以後尚門・正門・惟門・広門まで5代筑紫氏が続いた。
1586年(天正14)島津氏に攻められ勝尾城は落城、広門は大善寺(久留米市)に幽閉されるが、1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐が始まると、勝尾城を奪還し、筑後上妻郡(八女市)1万8千石を与えられ、山下城に入城し、支城として福島城を築いた。
その後広門は朝鮮出兵にも従い、活躍するが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、西軍に属した為、戦後改易された。
大手堀切 大手曲輪 石垣
竪堀 伝二の丸虎口 伝二の丸石垣
伝二の丸櫓台跡 伝二の丸堀切 本丸虎口石段
本丸下段 物見岩 本丸下横堀
本丸上段 本丸石垣 本丸土塁

参考文献 「現地案内板」
                     「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月