戌山城

戌山城いぬやまじょう
福井県大野市犬山
Mapion

--堀切・竪堀--
別名        
交通 JR九頭竜線「牛ヶ原駅」から登山口まで徒歩20分。
北西麓、476号線沿いに登山口・案内があります。
築城年代 南北朝〜室町時代
築城者 斯波義種
形式 山城
主な城主 朝倉景鏡
南北朝から室町時代にかけて、越前守護であった斯波(足利)高経の3男斯波義種により築かれたとされ、満種・持種・義鏡4代の居城となった。
その後亥山城主で持種の子義敏が後の応仁の乱の一因ともなる斯波家内紛により家臣千福中務大輔に討たれると、千福氏が戌山城主となるが、将軍足利義政の命を受けた朝倉孝景は千福氏を討つと、弟経景を戌山城主とし、景鏡が亥山城へ移るまで大野郡の主城となった。
その後朝倉氏を滅ぼし、1575年(天正3)越前一向一揆を平定した織田信長に、大野郡3万石を与えられた金森長近は、はじめこの戌山城に入城するが、新たに大野城を築いて移ると、廃城になった。
北西麓に登山口があり、ここには城兵が日に3度水を汲みに来たというみくら清水がある。ここから北尾根を登ると、山頂まで堀切や竪堀が連続して設けられており、いずれも規模が大きく、見所ある遺構が非常に良く残されている。
北から城址遠望
左は大野城
登山口に立つ案内板 曲輪跡
堀切 曲輪跡 曲輪跡
堀切 堀切 大野城天守から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年10月