石橋城

石橋城いしばしじょう
愛知県新城市作手清岳
Mapion

--城址・慈昌院--
別名 弾正屋敷
交通 東名「豊川IC」から道の駅「つくで手作り村」まで車で60分。
築城年代  
築城者  
形式 平山城
主な城主 奥平久勝
亀山城主奥平氏2代貞久の2男久勝が最初の城主とされる。
1537年(天文6)久勝の子弾正繁昌は主君への謀反が露見し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄に屋敷を攻められ敗北、郎党40人余が討死した。
後年繁昌とその一族の死を哀れむ徳岩明和尚は貞勝に願い出、弾正屋敷を貰い受けると寺地とし、石橋山慈昌院とした。
境内に土塁や空堀が残されている。
土塁 空堀

参考文献 「現地案内板」
                   「東三河の史跡めぐり 鈴木健著」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年1月