亀山城

亀山城かめやまじょう
愛知県新城市作手清岳
Mapion

--本丸に立つ碑--
別名 作手城
交通 東名「豊川IC」から道の駅「つくで手作り村」まで車で60分。
築城年代 1433年(永享5)
築城者 奥平貞俊
形式 平山城
主な城主 奥平定能(貞能)
1433年(永享5)川尻城主奥平貞俊が川尻城が手狭になった為、この亀山城を築城し、新たな本拠としたものと考えられる。
2代貞久の時、奥平氏の勢力は広がり、嫡男貞昌は本城を守り、2男久勝は石橋城、3男久正は額田郡夏山、4男主馬允は宝飯郡萩、5男信丘は宝飯郡佐脇、6男貞次は北設楽郡名倉まで進出した。
5代定能の時、武田信玄に従い、1572年(元亀3)三方ヶ原合戦にも従軍するが、翌年信玄の死を知ると、徳川家康方に転じ、古宮城に拠る武田方甘利晴吉・小幡又兵衛らが監視する中、子貞昌(信昌)と共に亀山城を退去し、滝山城(亀穴城)へ移った。
1602年(慶長7)信昌4男である松平忠明が1万7千石で入城し、1610年(慶長15)5万石で伊勢国亀山城へ移ると、廃城となった。
西腰曲輪 竪堀 西曲輪
本丸下横堀 本丸西虎口 本丸
本丸東虎口 二の丸 虎口

参考文献 「現地案内板」
                   「東三河の史跡めぐり 鈴木健著」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年1月