市来鶴丸城

市来鶴丸城いちきつるまるじょう
鹿児島県日置市東市来町長里
Mapion

--南朝忠臣市来氏顕彰碑--
別名 鶴丸城・城山古城・大根城・貝吹ヶ城・平之城・磐若城・番屋城
交通 JR鹿児島本線「東市来駅」から徒歩15分。
築城年代 鎌倉時代か
築城者 市来家房か
形式 山城
主な城主 市来氏・新納氏
築城者・年代は不明だが、「古城主由来記」等によると市来家房が最初の城主であるという。
1337年(建武4)征西大将軍懐良親王の九州入りに先駆け、三条泰季が薩摩に入ると市来時家は一宇治城主伊集院忠国と共に挙兵し、鶴丸城に立て籠もった。7月28日、鶴丸城は島津氏5代貞久の庶子川上頼久に攻められ、9月14日に伊集院勢、9月30日に三条泰季勢が来援するが、勝負は決しなかった。1340年(暦応3)一宇治城が貞久率いる大軍に攻められ落城すると、次いで鶴丸城も攻略され、時家は城を逃れた。しかし間も無く懐良親王が薩摩入りすると勢力を盛り返し、鶴丸城を奪還したものとみられる。その後も時家・氏家父子は南朝方に応じ、各地を転戦した。
1460〜66年(寛正年間)市来家親が島津氏10代立久に滅ぼされると鶴丸城は島津宗家直轄となるが、その後薩州島津家実久に占領され、腹心である新納忠苗・島津忠房が置かれた。そして1539年(天文8)相州島津家から宗家を継いだ島津忠良・貴久領となり、その後廃城となった。
1550年(天文19)6月、イエズス会宣教師であるフランシスコ・ザビエルが鹿児島から平戸へ向かう途中、この城に滞在し、また同年8月、再度平戸へ向かう為、市来湊から乗船する際、再び12日間滞在している。そして1561年(永禄4)貴久から鹿児島に招かれ、市来湊に上陸したルイス・デ・アルメイダが立ち寄り、帰路にも10日間滞在した。この時アルメイダは城内の様子を「深い堀で分断され、相互に離れた曲輪から構成され、曲輪間の移動は高い跳ね橋を渡らなければならなかった」と記している。
鶴丸小学校裏山が城址で鶴丸小・図書館間に登山口がある。 いくつかの段曲輪に沿った登山道を進み、10分程で本丸に至る。城址碑が立つ本丸は土塁に囲まれ、北側には侵食谷を利用した深い空堀が確認出来る。
居館跡とされる鶴丸小学校 フランシスコ・ザビエル像 南曲輪
本丸下曲輪 本丸堀切 本丸虎口
本丸 本丸土塁 南から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                          「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年12月