静岡県伊東市大原2丁目 --物見塚公園-- |
別名 | |
交通 | JR伊東線「伊東駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 平安時代末期 |
築城者 | 伊東祐隆 |
形式 | 館 |
主な城主 | 伊東祐親 |
平安時代末期、伊東祐隆が築いた事に始まるという伊東氏代々の居館跡。 1180年(治承4)8月、伊豆に挙兵した源頼朝が相模国土肥郷に進出すると、祐親は平家方として、これを迎え撃つべく石橋山に対峙した大庭景親軍に加わった為、その後娘婿三浦義澄の預かりとなり、鐙摺山で自刃、次男祐清は木曽義仲との篠原合戦で討死している。(長男祐泰は一族工藤祐経に暗殺されるが、後に祐泰の子曾我兄弟が仇討ちを果たした。) 館址の位置については仏現寺から物見塚の地名が残る台地一帯(市役所や物見塚公園付近)とされるが、他に平安時代末期の創建といわれる東林寺(古くは久遠寺と称し、伊東氏菩提寺)等の存在から葛見神社付近にあったとも考えられている。 |
伊東祐親像 物見塚公園 |
伊東祐親墓所 |
葛見神社 |