鐙摺城

鐙摺城あぶずりじょう
神奈川県三浦郡葉山町堀内
Mapion

--南麓から見る城址--
別名 旗立山・軍見山
交通 JR横須賀線「逗子駅」からバス「鐙摺」下車。
築城年代 平安時代末期
築城者      
形式 山城
主な城主 大多和義久
1180年(治承4)石橋山に陣した源頼朝を助ける為、三浦党300騎は出陣するが、合戦に間に合わず引き返した所、由比ヶ浜に陣取る畠山重忠と合戦に及ぶ。その際三浦義澄は和田義盛に200騎を預け、自身は100騎を率いてこの鐙摺山に陣している事から、当時から何らかの施設が築かれていたと考えられる。
鎌倉時代に入ると、三浦義明の3男大多和義久が城主であったとされ、また南東約2キロ、長徳寺一帯には義明の6男杜(森戸)重行、更にその東の長柄には長江義景が館を構え、三浦半島大手口にあたる鐙摺城を守る為に配置されていたと考えられている。
1512年(永正9)北条早雲に岡崎城、次いで住吉城を落とされた三浦義同(道寸)は、新井城へ敗走する時、鐙摺城から敵を望見したという。
非常に小規模で、遺構は土塁が僅かに残るのみだが、地形は良く残されており、要衝であった事が伺える。
東側登城路 登城路 主郭
土塁 伊東祐親供養塚
頼朝配流の時、暗殺を図った為、
その後鐙摺山で自刃した。
西側の眺め

参考文献 「神奈川の城 朝日ソノラマ」
             「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年2月