聚楽第

聚楽第じゅらくだい
京都府京都市上京区多門町
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--聚楽第碑(本丸西濠跡)--
別名 内野御構
交通 各線「二条駅」から徒歩20分。
築城年代 1586年(天正14)
築城者 豊臣秀吉
形式 平城
主な城主 豊臣秀吉・豊臣秀次
かつてこの一帯は、平安時代に平安京(大内裏)があった事から内野と呼ばれていた。
1586年(天正14)豊臣秀吉により聚楽第の築城が開始され、翌15年大坂城から正室北政所(おね)、母の大政所と共に移り住み、政務を執るようになった。その後秀吉と、甥で後継者である秀次2代にわたる関白の城として使われ、豊臣政権による洛中支配の象徴として機能する。
1595年(文禄4)7月、秀次が高野山で自刃させられる事により破却、秀吉が建築中であった伏見城へ大半が移建され、僅か9年の短い歴史を閉じた。
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木村長門守重成邸跡碑
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豊臣秀勝邸跡碑
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聚楽第南外濠跡・松林寺
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松永稲荷
聚楽城鵲橋旧跡碑
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梅雨ノ井
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晴明神社
千利休聚楽邸宅跡碑
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上杉景勝邸跡碑
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村雲御所跡碑
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伝聚楽第裏門・妙覚寺大門

参考文献 「現地案内板」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 3
2006年5月
2009年6月
2016年4月