京都府京都市伏見区桃山町泰長老 --展示される石垣-- |
別名 | |
交通 | 京阪宇治線「観月橋駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1592年(文禄1) |
築城者 | 豊臣秀吉 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 豊臣秀吉 |
伏見桃山丘陵南西に位置する半独立的な小丘陵である指月の丘は1067年(治暦3)藤原頼通の子橘俊綱が伏見山荘を造営したとされる。その後室町時代にかけて法皇の隠居所として後白河院を始めに伏見院・花園院等が次々と伏見殿を営み、観月の名所として都の人々に広く知られていた。 1592年(文禄1)豊臣秀吉が隠居所として指月の丘に屋敷の造営を開始、1594年(文禄3)朝鮮出兵について明の講和使節を引見する為、大規模な拡張が行われる。同年4月、淀古城の天守や櫓が移築され、1595年(文禄4)7月、聚楽第の解体・移築が行われた。また同時期に対岸の向島に別業として向島城も建設されている。 1596年(文禄5)完成するが、講和使節と会う直前の同年7月13日夜半、大地震によって指月城が倒壊すると、秀吉は直ちに背後の木幡山に再建を開始した。 2015年(平成27)マンション建設に先立ち、発掘調査が行われ、堀や石垣が確認され、金箔瓦も多数出土した。現在石垣の一部が展示されているが、指月城のものではなく、大名屋敷の石垣という見解も示されている。 |