松尾城

松尾城まつおじょう
鹿児島県姶良郡湧水町木場
Mapion

--本丸枡形虎口--
別名 栗野城
交通 JR肥薩線「栗野駅」から徒歩20分。
築城年代 南北朝時代か
築城者 北原氏か
形式 山城
主な城主 島津義弘
南北朝時代より真幸院の在地領主北原氏が居城したとされる。
1588年(天正16)11月、日向国飯野城を居城とする島津義弘は新たな居城として松尾城の改修を開始し、1590年(天正18)入城した。
1592年(文禄1)2月、豊臣秀吉の命を受けた義弘は2男又一郎(久保)と共にこの城から文禄の役に出陣し、1595年(文禄4)8月、帰城するが、戦地で又一郎は病死し、帰城直前の7月に5男久四郎(忠清)も亡くした義弘は間も無く帖佐館を築いて移った。
本丸(男城)・二の丸(女城)を中心に研屋敷・代官城・枝城・護摩所・御厩城等の曲輪群を配置し、それぞれ地形を利用した堀で区画した非常に規模の大きい城郭だったようである。大半がグラウンドや公園施設建設により改変されているが、本丸・二の丸付近は綺麗に整備されており、この地方では珍しい石垣を用いた枡形虎口が良く残されている。また城下には義弘5男久四郎(忠清)墓所がある。
研屋敷・御厩城間堀切 本丸下に復元された城門 本丸下石垣
本丸枡形虎口石垣 内側から見る本丸枡形虎口 本丸(男城)
本丸に立つ城址碑 本丸からの眺め 本丸・二の丸間堀切
二の丸(女城) 代官城 代官堀
御厩城・調練場跡付近 義弘5男久四郎(忠清)墓所 西から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                          「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年12月