開田城

開田城かいでんじょう
京都府長岡京市天神1丁目
Mapion

--西土塁--
別名  
交通 阪急京都線「長岡天神駅」から徒歩5分。
築城年代 室町時代後期
築城者 中小路氏
形式 平城
主な城主 中小路氏
戦国時代に活躍した国衆の一人中小路氏居城。乙訓・西岡地域の土豪・地侍は地域の自治的支配を目指す国一揆を結んでいた事で知られる。
開田城は西国街道を挟み勝竜寺城とは反対側の北方に位置し、老ノ坂から山崎へ抜ける丹波道を掌握できる地にあり、応仁の乱勃発直後、畠山義就の西岡占領と同時に城郭として使用されたものと考えられる。
地図の地点から東方三尊寺付近までの一帯が城域と推定されるが、現在は西辺・南東隅の土塁が残されているのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年6月