梶原堀の内

梶原堀の内かじわらほりのうち
東京都北区堀船3丁目
Mapion
福性寺地図

--福性寺--
別名 宇都宮陣屋
交通 都電荒川線「梶原駅」から徒歩15分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 宇都宮氏
形式
主な城主 梶原政景
鎌倉時代、この地には宇都宮氏の陣屋があり、1200年(正治2)鎌倉を追われた梶原景時が付近に落ち延びてきたが、宇都宮氏郎党に討ち取られたと伝わる。しかし景時は駿河清見関に攻められ自刃しており、伝承に過ぎない。宇都宮氏について、詳細は明らかではないが、一帯が豊島氏の本貫地であった事から、それに近い人物が居住していたものと思われる。
鎌倉大草紙」によると、1379〜81年(康暦年間)頃には、梶原美濃守道景が領し、後北条時代にはその孫で、岩槻城太田美濃守資正(三楽斎)の次男、政景が梶原の名跡を継いだという。
1564年(永禄7)資正が北条氏の謀略により、岩槻城を追われると、政景もそれに従い、佐竹氏の下へ奔った。
その後北条氏に従った太田新六郎が治めた。
佐竹氏の下へ奔った政景だが、後にこの地に戻って隠棲して没し、始め真竜寺に葬られるが、その後福性寺に移されたといい、現在も福性寺境内に梶原塚が残されている。また居館の位置について、堀船3丁目付近にあったものと思われるが、堀の内の地名が残るのみで正確な位置は明らかではない。

参考文献 「武蔵野古城址 武蔵野郷土史刊行会」
 「日本城郭全集 人物往来社」
    「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年3月