加治屋敷

加治屋敷かじやしき
埼玉県飯能市大字中居
Mapion

--宝蔵寺--
別名 一丁屋敷
交通 西武池袋線「飯能駅」から徒歩30分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 加治氏
形式 山城
主な城主 加治氏
加治氏は武蔵七党の一つ丹党から出たといわれ、七党系図に高麗経家の子加治太郎実家という名が見え、その弟二郎定季は1205年(元久2)二俣川・鶴ヶ峰の戦いで畠山重忠らの軍勢と戦い討死したとされる。
新編武蔵国風土記
」宝蔵寺の項に「寺後の山腹に加治氏の庵跡あり」とみえ、寺西北部に堀切があるというが未見。

参考文献 「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
   「日本城郭全集 人物往来社」
          「埼玉の中世城館跡 埼玉県教育委員会」

訪城回数 1
2007年9月