金尾山城

金尾山城かなおやまじょう
埼玉県大里郡寄居町金尾
Mapion

--二の丸に建つ愛宕神社--
別名 要害山城
交通 秩父鉄道「波久礼駅」から徒歩20分。
築城年代 1532年(天文1)頃
築城者 藤田重利
形式 山城
主な城主 金尾弥兵衛
1532年(天文1)前後、藤田左衛門佐重利が天神山城を築いた頃、支城として築かれたと考えられる。
1546年(天文15)川越夜戦以降、北条氏康が勢力を広げると、重利は氏康の3男氏邦を養子として迎え、自身は用土城に移り、用土新左衛門と改名した。そして1560年(永禄3)頃、氏邦は北武蔵から上野方面へかけての拠点として鉢形城を大改修し移るが、以後金尾山城は鉢形城の西方を守る支城の役割を持つようになった。
城主は北条氏邦家臣金尾弥兵衛と伝わり、山麓の伝蔵院はその居館跡といわれる。
1590年(天正18)6月14日、鉢形城落城と共に廃城となった。
南下を通る道路
当時の峠道であると共に
堀切であったと考えられる
曲輪跡 展望台から西方の眺め

参考文献 「現地案内板」
                    「秩父路の古城址 有峰書店新社」
訪城回数 1
2008年12月