神流川古戦場

神流川古戦場
群馬県高崎市・埼玉県児玉郡

1582年(天正10)
滝川一益×北条氏直
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--古戦場碑--
交通 関越自動車道「高崎IC」から車で30分。
1582年(天正10)3月、織田信長による甲斐武田氏征伐後、伊勢国長島城主滝川一益は戦功により武田の旧領の内、上野国と信濃国の小県・佐久両郡を与えられ、更に関東管領に任じられ、厩橋城に入城した。
同年6月2日、本能寺で信長が討たれると、甲斐国領主河尻秀隆は武田家旧臣や農民等の国人一揆により討たれた。これにより甲斐国は一時的に無主地となる。
一方京都の異変を知った小田原城主北条氏直は関東管領職を取り戻す事、また上野国から一益を追い、信濃国に出て南下し、無主の甲斐国に入る計画を立てる。
6月16日、氏直は5万5千の大軍をもって倉賀野表(高崎市)に出陣。18日には早くも武蔵・上野両国境、本庄原・金窪城で合戦が行われたが滝川軍が勝利した。
滝川勢に敗北した後北条軍だったがその日の内に態勢を立て直し、翌19日神流川河原で両軍は再び激突する。激戦の末滝川軍は総崩れとなり、一益は信濃国を経て、本領伊勢長島へ敗走した。
勝利した後北条氏は信濃国へ侵攻し、甲斐国領有を巡り、徳川家康と争った。「天正壬午の乱
案内板 神流川 Mapion
兵火を免れた大光寺旧総門
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胴塚稲荷
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首塚八幡宮
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滝川一益本陣跡とされる軍配山古墳

参考文献 「歴史群像シリーズ 戦国北条五代 学研」
2006年9月
2022年11月