笠置城

笠置城かさぎじょう
京都府相楽郡笠置町大字笠置
Mapion

--後醍醐天皇行在所--
別名  
交通 JR関西本線「笠置駅」から徒歩40分。
築城年代 1331年(元弘1)
築城者 後醍醐天皇
形式 山城
主な城主 後醍醐天皇
1331年(元弘1)4月29日、鎌倉幕府討伐の計画を吉田定房によって六波羅探題に密告され、失敗に終わった後醍醐天皇は、8月27日京都御所を出るとこの笠置山に潜幸した。
天皇方2千5百が拠るこの笠置山に対し、北条方は7万5千の大軍を向かわせ、1ヶ月に及ぶ攻防が繰り広げられた。「元弘の乱
9月28日、北条方の決死隊50人による奇襲攻撃を受け、天皇方は総崩れとなり、笠置城は落城する。この時大磨崖仏をはじめ、笠置寺山中49ヶ寺はすべて灰燼と化した。
後醍醐天皇は笠置城から逃れるが捕らえられ、隠岐に流される。しかし1333年(元弘3)島を脱出し、船上山に籠もると朝敵追討の宣旨を諸国に発した。幕府方の将であった足利高氏は天皇方に応じ、六波羅探題を壊滅させ、その直後鎌倉も新田義貞に攻められ、北条氏は滅亡した。
大師堂(旧正月堂跡・本陣跡) 十三重塔 貝吹き石
薬師石 二の丸 二の丸堀切
ゆるぎ石
9月28日奇襲を受けた所で、
この石は武器として運ばれていた。
虚空蔵磨崖仏 笠置山から西方

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2010年2月