河村館

河村館かわむらやかた
神奈川県足柄上郡山北町岸
Mapion

--土佐屋敷伝承地・案内板--
別名     
交通 JR御殿場線「山北駅」から徒歩25分。
築城年代 平安時代末期
築城者 初期河村氏
形式
主な城主 河村氏
土佐屋敷
秀郷流藤原氏の一族波多野遠義の2男秀高はこの河村郷周辺に館を築き、足柄平野北西部を支配し、河村氏を名乗った。定かではないがこの頃はまだ河村城は成立しておらず、背後の浅間山を詰城としていたという説がある。
その後河村城は関東管領山内上杉氏、大森氏、次いで後北条氏が領有し、この間それぞれの時代の領主はこの岸一帯の河岸段丘上に居館を構え、河村城を詰城とした。
現在案内板が立つ付近は土佐屋敷と伝わるが、この人物についての詳細は不明。調査により方形館址・建物址群が確認されたが、出土遺物から室町時代後半頃のものとされ、大森氏(室伏氏)や後北条氏(松田氏)の代官級の人物が居住した館跡と考えられている。河村氏自身の居館については明らかになっていない。
ここから南方200メートル下方、堀の内と呼ばれる地(岸交差点から西およそ200メートル付近)は河村秀清屋敷の伝承がある。

河村秀清屋敷伝承地
河村氏の祖となった秀高の4男秀清屋敷跡伝承地。
秀清は幼名千鶴丸と称し、1189年(文治5)13才で奥州藤原氏討伐に従軍し活躍した。その功に源頼朝自ら烏帽子親となり元服させ、秀清は岩手・志和・名取の3郡を与えられ、その後秀清の子孫は代々奥州に居住した。
現在は宅地化されているが、付近には土神・秋葉神が祀られている。
河村秀清屋敷伝承地付近

     参考文献 「現地案内板」
                           「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年9月