吉川館

吉川館きっかわやかた
静岡県清水区吉川
Mapion
案内板地図

--館址北側にある案内板--
別名    
交通 静岡鉄道清水線「狐ヶ崎駅」から徒歩20分。
築城年代 平安時代末期
築城者 吉川経義
形式
主な城主 吉川友兼
駿河豪族入江氏の一族で三郎経義を祖とする吉川氏館跡。
1183年(寿永2)源頼朝から吉川の地を安堵された経義は、この地に館を構え、初め吉香又は木河を名乗り、5代128年間の居住の地となった。
1200年(正治2)1月、2代友兼は、鎌倉を追われ京へ上る梶原景時一行33人を渋川氏らと共に狐ヶ崎に攻め、景時の子景茂を討ち取るが、自身も深手を負い、翌日没する。この遺功により友兼の子3代朝経は播磨国福井庄(兵庫県姫路市)を賜り、次いで4代経光は1221年(承久3)承久の乱の戦功により安芸国大朝庄(広島県山県郡大朝町)の地頭職に任命された。
5代経高はこの吉川の地からそれぞれの地方を支配していたが、1313年(正和2)安芸国大朝庄に移住し、戦国時代に毛利氏の有力国衆として活躍する礎となった。
館址は宅地化されているが、館址から西、清水吉川郵便局の西100メートル程に吉川氏発祥旧跡碑や吉川氏墳墓がある。
吉川氏発祥旧跡碑 吉川氏墳墓

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年9月