郡山館

郡山館こおりやまだて
福島県郡山市駅前1丁目
Mapion

--代官小路案内板--
別名 郡山城
交通 各線「郡山駅」から徒歩5分。
築城年代                   
築城者 郡山氏
形式
主な城主 郡山頼祐(朝祐)
1588年(天正16)伊達政宗と佐竹義重・蘆名義広連合軍が争った郡山合戦の舞台となった郡山館比定地の一つ。
館主郡山頼祐(朝祐)は三春城主田村氏に属していたが、その田村氏が伊達氏に従属すると、郡山氏も従った。1588年(天正16)6月、佐竹・蘆名連合軍4千余が郡山館を取り囲むと、政宗は自ら救援に向かい、山王館を本陣とすると、逢瀬川を挟んで連合軍と対峙する。そして政宗は郡山館に籠もる頼祐と弟善五郎に兵糧・弾薬・書簡等を送り、士気を鼓舞した。そして7月16日、岩城重隆・石川昭光の調停により和解が成立する。政宗は大崎義隆・最上義光が敵対する動きを見せていた為、大兵を動かせず、僅か600余の手勢でこの合戦に挑んだが、郡山館を守りきり、翌年頼祐は戦功により安積郡窪田の地を与えられている。
郡山館の位置については諸説あるが、近年は郡山駅西側にあったという説もいわれている。開発により遺構は全く見当たらないが、この地は後に二本松藩により安積三組(郡山・大槻・片平)の代官所が置かれており、代官小路・陣屋通りの名が残されている。

参考文献 「歴春ブックレット 郡山の城館 歴史春秋社」
    「ふくしまの古戦場物語 歴史春秋出版」
訪城回数 1
2015年9月