挙母城

挙母城ころもじょう
愛知県豊田市小坂本町8丁目
Mapion

--城址碑--
別名 七州城
交通 名鉄三河線「豊田市駅」から徒歩25分。
愛知環状鉄道線「新豊田」から徒歩20分。
築城年代 1749年(寛延2)
築城者 内藤政苗
形式 平山城
主な城主 内藤氏
1749年(寛延2)内藤政苗が入部すると、桜城の改修を開始したが、途中矢作川が氾濫した為に工事は中断された。そして童子山に新たに築城が開始されると、1782年(天明2)政苗の跡を継いだ内藤学文の時、この挙母城が完成した。以後明治に至るまで内藤氏が続き、1871年(明治4)すべての建物が取り壊された。挙母城は七州城とも呼ばれ、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江7ヶ国が眺望出来た事に由来するという。
現在城址は豊田市美術館敷地となり、隅櫓台石垣が残され、その上に復興隅櫓が建てられている。

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年1月