高谷殿

高谷殿こうやでん
栃木県鹿沼市高谷
Mapion

--中央に碑が立つ--
別名    
交通 東武日光線「北鹿沼駅」から徒歩5分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 高谷隼人
形式 平城
主な城主 高谷氏・松崎氏
宇都宮城主宇都宮弥三郎に仕えた高谷隼人により築かれた。築城年代は不明だが、2代目松崎彦七郎が1361年(康安1)に45歳で死去している事からそれ以前と考えられる。2代目彦七郎は松崎親直といい、元々遠江国に居たが、やがて浪人となり、20歳の時、下野国に入って粟野町粕尾に土着し、宇都宮公綱に仕えた。ある時公綱の使いで高谷隼人を訪ねた所、隼人に認められ、長女を妻にしたという。
その後松崎氏は3代親義は小山氏との合戦で討死、4代親豊は1395年(応永2)鎌倉で討死との記録が残る。そして13代親重の時、帰農したと伝わるが詳細は不明である。
近年まで外堀・内堀と土塁が残されていたが、現在は整地され、ほとんど消滅したようである。子孫と思われる松崎氏宅東側に高谷殿の碑が立つ。

参考文献 「鹿沼の城と館  鹿沼市史編さん委員会」
    「史跡めぐり 栃木の城 下野新聞社」
訪城回数 1
2021年1月