宇都宮城

宇都宮城うつのみやじょう
栃木県宇都宮市本丸町
Mapion

--清明台櫓--
別名 唐糸城・亀ヶ丘城・亀岡城・亀井城
交通 東武宇都宮線「東武宇都宮駅」から徒歩10分。
築城年代 平安時代後期
築城者 藤原宗円
形式 平城
主な城主 宇都宮氏・本多正純
平安時代後期、宇都宮氏の祖で、関白藤原道兼の孫兼房の子である藤原宗円が築いた館に始まるという。以来およそ500年にわたり、宇都宮氏歴代の居城となった。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めに参陣した宇都宮国綱は所領を安堵されるが、その後1597年(慶長2)秀吉の命により突如改易となり、宇都宮氏は没落した。
その後宇都宮城には浅野長政(城代)・蒲生秀行・奥平氏が入城し、1619年(元和5)本多正純が15万5千石で入ると、近世城郭として改修された。この正純の時、宇都宮城は日光東照宮を参拝した2代将軍徳川秀忠を迎える宿舎となる予定であったが、天井に不審な仕掛けをし、将軍を暗殺しようとした等の罪状により正純は改易、出羽国由利を経て出羽国横手に配流となった。しかし実際には仕掛けは存在せず、正純を疎ましく思う土井利勝らの謀略であったともいわれる。「宇都宮城釣り天井事件
その後宇都宮城は松平氏・阿部氏と続き、戸田氏の頃に明治を迎えた。
廃藩置県の後、城址は私有地として売却され、また宇都宮の中心市街の形成によって遺構の多くは破壊された。現在本丸の一部が公園化され、櫓や土塁の復元がされている。
北堀 西堀 西土塁
富士見櫓 本丸 土塁上から見る本丸
西土塁 北土塁 清明台櫓
北堀 三日月堀跡 三の丸土塁

参考文献 「現地案内板」
                        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2012年1月
2021年1月