小山城

小山城こやまじょう
山梨県笛吹市八代町高家
Mapion

--南空堀--
別名  
交通 中央自動車道「一宮御坂」ICから車で10分。
築城年代  
築城者 穴山氏か
形式 平山城
主な城主 穴山氏
築城者・年代については不明だが、1450年(宝徳2)には穴山伊豆守が城主であり、小石和の武田信重館を攻めている。
1504年(永正1)頃、穴山伊予守信永が居住し、1523年(大永3)3月、鳥坂峠を越えて侵入してきた南部下野守と花鳥山で戦った後、小山城で防戦したが、常楽寺(二ノ宮)へ逃れ、自害したという。
その後小山城は南部氏が守ったが、1548年(天文17)武田晴信に追われ、小山城は廃城となった。
1582年(天正10)武田家滅亡後、甲斐・信濃諏訪郡の領主となった河尻秀隆が武田家旧臣や農民等の国人一揆により討たれると甲斐国は一時的に無主地となり、徳川家康と後北条氏が領有を巡り争った。この時御坂城に籠もる後北条勢に対し、家康は鳥居元忠に小山城を修築させ、騎馬130・雑兵600をもって守らせたと伝えられる。「天正壬午の乱
東虎口 城址北西にある物見塚(ごんぱち塚) 城址から北方面

参考文献 「現地案内板」
                     「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年10月