黒石城

黒石城くろいしじょう
青森県黒石市境松2丁目
Mapion

--城址碑--
別名 旧黒石城
交通 弘南鉄道弘南線「境松駅」から徒歩5分。
築城年代 1331〜38年(元弘〜建武年間)
築城者 工藤貞行
形式 平城
主な城主 工藤貞行・津軽為信
1331〜38年(元弘〜建武年間)田舎館領主であった南朝方工藤貞行により築かれ、一説に貞行居城と比定される。
その後の城歴について詳細は不明だが、津軽統一を果たした津軽(大浦)為信が改修し、妻や長男信建の子熊千代と一時在城していたとされ、1602年(慶長7)為信が誤って熊千代の顔に火傷を負わせた事に端を発する「天童事件」が起きている。
ここから東にある黒石陣屋が「黒石城」と呼ばれているのに対し、「旧黒石城」とも呼ばれる。一帯は宅地化されており、一部堀跡とも思われる地形も見られるが、河川工事や道路造成により遺構の多くは破壊されているようである。

参考文献 「青森県の中世城館 青森県教育委員会」
       「青森・岩手・秋田の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月