京都所司代屋敷

京都所司代屋敷きょうとしょしだいやしき
京都府京都市上京区藁屋町
Mapion

--京都所司代上屋敷跡--
別名  
交通 京都市営地下鉄東西線「二条城前駅」から徒歩10分。
築城年代 1600年(慶長5)
築城者 徳川家康
形式 陣屋
主な城主 板倉重宗
所司代の名称・役職は室町幕府の侍所に始まり、徳川幕府に受け継がれた。徳川時代の所司代は1600年(慶長5)関ヶ原合戦直後に設けられ、皇室・公家の監視、京都諸役人の統率、京都町方の取り締まり(町方は後に京都町奉行が行った)、更に西国33ヶ国の大名の動静監視等、強い権限を持つ行政機関で、幕府の老中に次ぐ最重要役職であった。
初代奥平信昌の後、2代・3代は板倉勝重・重宗父子が任じられ、重宗の時に京都市政の根本法規が制定される。以後幕末まで58人が任じられ、1862年(文久2)京都守護職が設けられると、所司代はその管轄下となり、王政復古によって廃止された。
所司代屋敷は二条城北、地図の地点から西方、大宮通辺りまでの広大な一帯の地にあり、上屋敷・堀川屋敷・千本屋敷等から成っていた。現在はそのほとんどが元待賢小学校用地となる。

参考文献  「現地案内板」    
訪城回数 1
2009年6月