京都府宇治市槇島町 --城址碑-- |
別名 | 真木嶋城・薗場城 |
交通 | JR奈良線「宇治駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1221年(承久3) |
築城者 | 長瀬左衛門 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 足利義昭 |
往時この地は、宇治川が旧巨椋池に分流する中州であったと推定され、天然の要害であった。古くから京都への出入りの拠点として合戦の舞台となり、1221年(承久3)承久の乱の際には、後鳥羽上皇方の長瀬左衛門が5百の兵で守っている。 室町時代から戦国時代には足利将軍家臣、真木島氏が本拠とした。 1573年(元亀4)7月、城主昭光の頃、二条城からこの城に移った足利義昭は3千7百余の兵で挙兵し、織田信長と争った。18日羽柴秀吉・明智光秀・柴田勝家らからは川下の五ヶ庄より、稲葉一鉄らからは平等院周辺より攻められる。義昭は降伏し、昭光と共に枇杷荘を経て河内国へ逃れ、ここに室町幕府は名実ともに滅び去った。 その後信長は槇島城を南山城・大和・大坂方面への中継地、拠点として重視し、自らも再三立ち寄り、それは秀吉時代にも踏襲されたが、1594年(文禄3)頃廃城になったと考えられる。 城址は宅地化され、城域の中心部にある小公園に城址碑が立つのみとなっている。 |