二条古城

二条古城にじょうこじょう
京都府京都市上京区
Mapion

--城址碑--
別名 旧二条城・義昭御殿
交通 京都市営地下鉄烏丸線「丸太町駅」から徒歩5分。
築城年代 1569年(永禄12)
築城者 織田信長
形式 平城
主な城主 足利義昭
1569年(永禄12)本圀寺の変後、織田信長は京都防衛の為、中央部に堅固な要塞の構築の必要性から武衛陣跡を拡張し、この二条城を築城した。村井貞勝らを奉行として4月に完成、将軍足利義昭は同月14日に入城する。ほぼ70日の短期間での完成でありながら、二重の堀や三重の「天主」を備えた堅固なものであったという。また四方に石垣が高く築かれ、内装は金銀がちりばめられ、庭は泉・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。
1573年(元亀4)3月、次第に信長と対立するようになった義昭はこの二条城に立て籠もるが、4月7日正親町天皇の斡旋により、信長と和睦した。
しかし7月、義昭は二条城を三淵藤英に守らせ、自身は槇島城に移り、3千7百余の軍勢で再び挙兵した。
その後信長に敗れた義昭は追放され、二条城も室町幕府滅亡と共に廃城となった。
1576年(天正4)二条城は解体され、安土城築城に際し、建築資材として再利用された。

参考文献 「現地案内板」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 2
2006年5月
2009年6月