長野県上田市腰越 --主郭下石垣-- |
別名 | 依田城 |
交通 | 長野新幹線・小海線「佐久平駅」から車で35分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 山城 |
主な城主 | 丸子氏(依田氏) |
内村川と依田川合流地点に位置する真田昌幸の属城。 1585年(天正13)8月2日、真田昌幸は上野国沼田城の譲渡を巡り、徳川家康勢と神川付近で争い勝利した。翌3日、徳川軍がこの丸子城へと矛先を変え、八重原に布陣すると、昌幸は手白塚に出てこれを牽制する。8月19日、諏訪頼忠は丸子三左衛門が守る丸子城を攻めた(丸子表の戦い)。 翌日昌幸は長瀬河原へ出て諏訪軍の背後を突くが、これを見た岡部長盛は三手に分かれて出撃し、河原町に火を放って真田軍を退けた。続いて辰の口側から丸子城を攻めたが、攻略出来ず24日になり徳川軍は撤退した。「第一次上田合戦」 |
二郭(飯盛城) | 主郭手前堀切 | 主郭 |
主郭井戸跡 | 主郭から北側の眺め | 主郭下石垣 |