松前城

松前城まつまえじょう
北海道松前郡松前町松城
Mapion

--復元天守・本丸御門--
別名 福山館・福山城
交通 各線「木古内駅」からバス「松城」下車。
築城年代 1854年(安政1)
築城者 松前崇広
形式 平山城
主な城主 松前氏
1849年(嘉永2)北辺警備の重要性から幕府に命じられた松前伊豆守崇広により築かれ、1854年(安政1)に完成した。三の丸には砲台7基、城外にも9砲台、25門の砲が配備されていた。
1868年(明治1)松前城は旧幕府軍に攻められ、占拠されるが、翌年官軍が奪取した。しかしこの戦乱により松前城は荒廃し、1873年(明治6)開拓次官黒田清隆は松前城の取り壊しと建物の転用を命じる。これにより天守・本丸御門・表御殿玄関のみが残されるが、その天守も1949年(昭和24)焼失している。

●福山館
1600年(慶長5)松前藩初代松前慶広は、それまで大館(徳山館)に拠点を置いていたが、より海に近く、交易経済に便利な為、南方400メートルに位置する福山の台地(後の松前城の位置)に新城築城を決定し、1606年(慶長11)に完成した。
1849年(嘉永2)松前城の築城が開始されると、福山館の利用出来ない建物は取り壊され、三の丸の重臣屋敷も撤去されたという。
馬出枡形跡 三の丸 三の丸・五番台場
三の丸から見る二の丸土居・土塀 三本松土塁(蔀土塁) 搦手二ノ門
二の丸・二重太鼓櫓台跡 二の丸・隅櫓台跡 旧福山城本丸表御殿玄関
昭和57年まで松城小学校の正面
玄関として利用されていた
本丸御門 天守 天守から南方の眺め
本丸表御殿跡 天守 外堀跡

参考文献 「現地案内板」
                     「北海道・沖縄の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年8月