松本城

松本城まつもとじょう
長野県松本市丸の内
Mapion

--現存天守--
別名 深志城・鵞湖城
交通 各線「松本駅」から徒歩20分。
築城年代 1592〜1615年(文禄・慶長年間)
築城者 石川数正・康長
形式 平城
主な城主 馬場信春(信房)・石川数正
1504年(永正1)林城主小笠原氏の支城として一族の島立右近大夫貞永が築いた事に始まるといわれ、始めは深志城と呼ばれていた。
その後深志城は武田氏が領有し、東信濃・北信濃への進出の拠点として重要視される。
1582年(天正10)武田家滅亡後、木曽義昌が入城するが、本能寺の変が起きると、深志城は上杉景勝に攻められ、上杉氏の庇護を受けていた小笠原長時の弟貞種が城主となる。しかし間も無く徳川家康の援助を受けた小笠原長時の長男貞慶が叔父に当たる深志城の貞種を攻めた為、 貞種は越後へ逃れ、代わって貞慶が入城し、松本城と改名された。
1590年(天正18)徳川家康の関東移封に伴い、小笠原貞慶の子秀政が下総国古河へ移ると、石川数正が入城し、その子康長の代に今日に伝えられる5層の天守が完成した。
1613年(慶長18)康長が改易されると、明治に至るまで城主は目まぐるしく代わるが、いづれも徳川氏近縁の大名が城主となった。
外堀 太鼓門・二の門(高麗門) 太鼓門・玄蕃石
太鼓門・一の門(櫓門) 二の丸御殿跡 黒門
内堀 天守閣 埋の橋・天守閣

参考文献 「現地案内板」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年10月
2008年4月