福岡県福岡市西区愛宕2丁目 --愛宕神社-- |
別名 | 探題城・鷲尾山城 |
交通 | 各線「姪浜駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 13世紀後半 |
築城者 | 北条氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 北条英時 |
1281年(弘安4)弘安の役後、元の脅威が未だに続く九州に下向した北条氏一族である北条兼時は、九州の御家人を統率する為、姪浜に奉行所を設け、この地に城を築いた。この姪浜奉行所は後に鎮西探題と呼ばれ、幕府の出先機関として九州を統括した。この為九州の御家人達は権限が縮小され、次第に不満を募らせる事となる。 1333年(元弘3)3月13日、肥後菊池武時は挙兵し、北条英時が拠る探題館を襲撃するが、武時の呼びかけに応じなかった少弐貞経・大友貞宗が探題方に付くと襲撃は失敗に終わり、武時は敗死した。しかし5月25日、足利尊氏により六波羅探題が滅亡した事を知った少弐貞経・大友貞宗は島津貞久と呼応して姪浜城に英時を攻め滅ぼし、鎮西探題滅亡と共にこの城も廃城となった。この博多合戦が九州における南北朝動乱の引き金となる。 「筑前国続風土記」に「愛宕の社に近く、南の方に出たる山有、此所則探題の城址也」とあり、愛宕神社から南下にある「岩井屋」裏山が城址のようだが、平場が残るだけで特に明確な遺構は見当たらない。この地に探題館が在ったかは定かでなく、近年は博多祇園町が有力な比定地となっている。 |