探題館

探題館たんだいやかた
福岡県福岡市博多区冷泉町
Mapion

--案内板--
別名 鎮西探題館
交通 地下鉄空港線「祇園駅」から徒歩3分。
築城年代 13世紀後半
築城者 北条氏
形式
主な城主 北条英時
鎮西探題」は、1281年(弘安4)弘安の役後、元の脅威が未だに続く九州の御家人を統率する為、北条氏一族である北条兼時が下向した事に始まり、その後北条実政が正式に鎮西初代探題として下向した。以後幕府の出先機関として九州を統括する事となり、政治・文化の中心は大宰府から博多に移った。
1333年(元弘3)元弘の乱により鎮西探題は滅びるが、1336年(建武3)多々良浜合戦に勝利した足利尊氏は東上に際し、「九州探題」を設置し、一色範久を初代探題に任じた。
鎮西探題館の位置についてはこれまで姪浜城とされていたが、近年この地が有力な比定地となっている。
東長寺前で行われた発掘調査では多くの遺物が見つかり、また14世紀前半に廃絶した溝の上面から110体に及ぶ火葬頭骨も出土し、刀傷が残る骨も見られた。更に近くには火葬を行った荼毘遺構も発見されている。1333年(元弘3)3月13日、肥後菊池武時が北条英時が拠る探題館を襲撃して敗死すると、菊池方の首200が探題館の犬射馬場に晒されたといわれ、発見された頭骨はこの時の戦死者のものと考えられている。

参考文献 「現地案内板」
                  「中世都市博多を掘る 海鳥社」 
訪城回数 1
2015年7月