三雲城

三雲城みくもじょう
滋賀県湖南市吉永
Mapion
城址入口地図

--大手枡形虎口--
別名 吉永城
交通 JR草津線「三雲駅」から登山口まで徒歩40分。
築城年代 1487年(長享1)
築城者 三雲典膳
形式 山城
主な城主 三雲成持
1487年(長享1)観音寺城主六角高頼が逃げ込み用の本城として三雲典膳に命じ築かせたとされる。以後六角氏は観音寺城に危険が迫ると甲賀に逃れ、甲賀武士や近在部将と共に抗戦する戦術を用いており、1537年(天文6)には六角義賢(承禎)、1568年(永禄11)には六角義賢・義治父子がこの城に逃れてきている。
六角氏が没落すると、三雲氏は間も無く浪人となるが、その後織田信雄・蒲生氏郷に仕え、江戸時代には旗本となった。
やがて三雲城も廃城となり、1585年(天正13)中村一氏が水口岡山城を築いた際、石垣等の用材が移されたといわれる。
一番の見所である枡形虎口は巨石が用いられた周辺では珍しい遺構で六角氏時代のものではなく、それ以降のものと考えられている。馬の背道を通り北の物見台跡には麓からも確認出来る八丈岩と呼ばれる大岩があり、この大岩の南側には六角氏の家紋(四ツ目結)が刻まれている。
大手 大手枡形虎口石垣 二郭
二郭井戸跡 内側から見る枡形虎口 二郭竪堀群
主郭石垣 主郭 主郭からの眺め
主郭下堀切 南郭 八丈岩(見張り台)

参考文献 「近江の山城ベスト50を歩く サンライズ出版」
     「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年1月