港山城

港山城みなとやまじょう
愛媛県松山市港山町
Mapion
登山口・案内板地図

--南から城址遠望--
別名    
交通 伊予鉄道高浜線「港山駅」から徒歩5分。
築城年代 1334〜1337年(建武年間)
築城者 河野通盛
形式 山城
主な城主 河野通春
1334〜1337年(建武年間)河野通盛が湯築城を築いた時、海辺の守りとして築城されたと伝えられる。
1460年代、宗家の河野教通(通直)と庶子家の通春との内乱が起こった際、通春はこの港山城に拠った。通春は周防の大内家とも結び、制海権を有して教通を凌ぐ一大勢力をもっていたが、教通との2度の戦いの末、港山の北麓で流れ矢に当たり討死したといわれ(病死とも)、港山城は落城した。
1585年(天正13)豊臣秀吉による四国征伐の際、小早川隆景に攻め落とされ、その後廃城となった。
東側麓にある案内板の後ろから登山道があるが藪がひどく未見。

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2008年1月