長崎県平戸市木引田町 --屋敷跡に立つ按針終焉地碑-- |
別名 | |
交通 | 松浦西九州線「たびら平戸口駅」下車。「平戸口駅」又は「平戸 口桟橋」からバス「平戸桟橋」下車。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 三浦按針(ウィリアム・アダムス) |
1598年(慶長3)イギリス人ウィリアム・アダムスは、航海士としてロッテルダムを出航するが、途中で難船し、1600年(慶長5)乗船のリーフデ号は豊後臼杵に漂着した。アダムスは大坂で徳川家康に謁見し、外交顧問となると、江戸に邸宅を与えられ、更に相州三浦郡に250石の知行地を与えられると、三浦按針と名乗るようになった。 その後オランダ・イギリスが通商を許され、平戸に商館が設置されると、按針は対日貿易に尽力する。 その際按針は、諸外国との公平な立場からイギリス商館には住まず、この木田弥治右衛門宅を住まいにしたとされる。 1620年(元和6)按針は57歳で病に倒れ、平戸で没した 。 現在屋敷跡は店舗になっており、店の前に碑が立てられている。 |
英国商館跡碑 |
三浦按針墓所・崎方公園内 |