東京都足立区宮城1丁目 --館址碑・氷川神社-- |
別名 | 城 |
交通 | 東京地下鉄南北線「王子神谷駅」から徒歩35分。 |
築城年代 | 鎌倉時代末期か |
築城者 | 宮城宰相か |
形式 | 館 |
主な城主 | 宮城八郎重中 |
宮城氏は豊島氏の庶流で、1318〜92年(南北朝時代)武蔵豊島郡一円を領有していた豊島重信の子重中が、この地に居館を構え、新たに足立郡宮城の地を開発し、宮城八郎と称した事に始まるとされる。しかし宮城の地名は、鎌倉時代には既に存在し、足立庄司宮城宰相の名がみえる。 重中の後、4代の子孫宮城泰業の頃、泰業は後北条氏に属して、岩槻城に在り、この頃には宮城氏はこの地を離れていたと考えられる。 1590年(天正18)後北条氏滅亡後、正重(正業)は徳川2代将軍秀忠に仕え、宮城氏は旗本として幕末まで続いた。 現在遺構は何も残されていないが、館址碑の立つ氷川神社は、重中が足立郡大宮郷から守護神として勧誘したものだという。 |