宮窪城

宮窪城みやくぼじょう
愛媛県今治市宮窪町宮窪
Mapion

--西側から見る菅原池と宮窪城--
別名 城山
交通 しまなみ海道「大島北IC」。
築城年代 室町時代初期頃か
築城者 村上義弘か
形式 丘城
主な城主 能島村上氏
幸賀屋敷後方、菅原池南の小高い丘は、「お城山」と呼ばれており、池を挟み北西には烽火台があったという。また現在「山野」という地名が残され、これは「三の丸」の名残といわれる。
城址一部には住宅が建ち、明確な遺構は見当たらないが、二の丸とみられる所には古墓があり、また城址の南側すぐ下を通る坂道の途中には当時の遺跡と思われる古い五輪塔が数基残されている。

参考文献 「村上水軍全紀行 新人物往来社」
                     「愛媛県中世城館跡分布調査報告書 愛媛県教育委員会」
       「文化財散歩 宮窪町教育委員会」
訪城回数 1
2010年10月