髻山城

髻山城もとどりやまじょう
長野県長野市若槻西条
Mapion
登山口地図

--本丸虎口石垣--
別名 髻城・元取城
交通 JR信越本線「長野駅」からバス「宇佐美沢」下車。
地図の地点、登山口まで徒歩3分。
他にも登山ルートが複数あるようです。
築城年代 戦国時代
築城者 上杉謙信か
形式 山城
主な城主 上杉謙信
東側に近世北国街道と中世の主要道路(神代坂)が通り、越後と信濃を結ぶ重要な場所に位置する。
1564年(永禄7)4月、上杉謙信は武田氏に野尻城を攻略されたが間もなく奪回した。同年9月上杉家臣である直江実綱が堀江宗親、岩船長忠に武田軍の状況を通報させたとする古文書に「敵もと々り山江、小旗4,5本にて、毎日武具致すよし候」と見られ、武田氏の信越侵攻拠点としての利用が確認出来、またそれまでの城主は謙信であったと伝えられる。
観音清水
上杉謙信が井戸を掘らせた際、
十分な水量が得られなかった為、
自身の守り本尊を投じると
水が湧き出したという。
西斜面横堀 西斜面竪堀
石垣
大岩との隙間に詰められている
曲輪跡 本丸虎口
本丸 本丸にある窪み
井戸跡?烽火台跡?
本丸からの眺め

参考文献 「現地案内板」
                      「信州の山城 信毎書籍出版センター」
訪城回数 1
2008年10月