長野県上水内郡信濃町野尻 --西から城址(琵琶島)遠望-- |
別名 | 琵琶島城 |
交通 | 上信越道「信濃町IC」から野尻湖船着場まで車で10分。 船着場から琵琶島へ渡る船・ボートがあります。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 |
野尻城は琵琶島に築かれた野尻城とその対岸「字城が入」尾根に築かれた野尻新城との総称である。 南北朝時代、初めて野尻城の名がみえ、北朝方の鎮城の役割を果たしていた。その後戦国時代にかけて、高梨氏の支配を経て、境目の城として上杉謙信により重要視された。 1561年(永禄4)第四回川中島合戦後、野尻城は武田氏に対する信越国境の防衛拠点となり、1564年(永禄7)武田氏に攻められ落城するが、その後上杉氏が奪還している。そしてこの頃野尻新城が築かれ、国境の更なる防備増強がなされたと考えられる。 野尻湖に浮かぶ琵琶島が城址で、現在は宇賀神社境内となり、堀切や土塁が残されているようである。また上杉四天王の一人、宇佐美定行(現在は定満が定説)が上杉氏に対する謀反の疑いがあった坂戸城主長尾政景を野尻湖に舟遊びに誘い、共に溺死したという逸話があり、後に定満の忠死に対し、謙信が琵琶島に定満の具足を埋め、経塚を立て弔ったという「墓所」がある。 |
西から見る野尻城と野尻新城 | 南から城址遠望 | 東から城址遠望 |
野尻新城から見る野尻城 | 遊覧船乗場に立つ宇佐美定行碑 | 真光寺・長尾政景墓所 |