毛利季光屋敷

毛利季光屋敷もうりすえみつやしき
神奈川県厚木市下古沢
Mapion

--毛利氏発祥地・季光屋敷跡碑--
別名                  
交通 小田急線「本厚木駅」からバス「上分」下車。
築城年代 鎌倉時代
築城者 毛利季光
形式 屋敷
主な城主 毛利季光
鎌倉時代、幕府の要職を占めた大江広元の4男で、後に中国に勢力を誇る毛利氏の始祖となる毛利季光屋敷跡。父広元が与えられた領地の内、相模国毛利荘の地頭となった季光は荘名から毛利氏を称し、1221年(承久3)承久の乱では北条氏に従い活躍、安芸国吉田荘の地頭職を与えられており、これが安芸国との結びつきの初めとなる。しかし1247年(宝治1)三浦泰村の乱に巻き込まれて敗死すると、一族の大半が討たれ、相模国毛利荘は没収される。この時季光の4男経光だけは越後国佐橋荘に居た為、一族滅亡の難を逃れており、その後経光は4男時親に安芸国吉田荘を譲った。この時親が1336年(建武3)安芸国に移ると、吉田郡山城を築いて本拠とし、後の西国覇者毛利氏の礎となる。
三島神社付近が屋敷比定地とされ、境内に毛利氏発祥地・季光屋敷跡碑が立つ。

参考文献 「現地石碑文」
                   「毛利の城と戦略 成美堂出版」
訪城回数 1
2015年2月