武志城

武志城むしじょう
愛媛県今治市吉海町椋名
Mapion

--武志島に隣接する小武志島--
別名 務司城・武司城
交通 しまなみ海道「大島南IC」。
築城年代 7世紀頃
築城者 天智天皇
形式 海城
主な城主 村上清長
来島海峡の東水道に浮かぶ武志城の歴史は古く、663年(天智2)白村江の戦いに敗れた後、天智天皇の命により外敵の来襲に備える為築かれていたと文献にある。
また「野島村上家系図」の村上左衛門太夫頼久の項にも、務司城の名が見える。頼久は河野通有に従い、1281年(弘安4)弘安の役で討死しており、この時代の利用も窺える。
その後は能島村上氏の水軍城として、火内城の枝城であったと推定されている。
武志島と小武志島両島を有する要害の地にあり、往時の石塁の一部と井戸跡が残るという。また隣接する小武志島、毛無島にも武志本城の出城があったとされる。

参考文献 「村上水軍全紀行 新人物往来社」
                     「愛媛県中世城館跡分布調査報告書 愛媛県教育委員会」
           「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社
訪城回数 1
2010年10月